さてこれからインフルエンザにかかる皆さんの参考に供すべく、僕の場合の顛末をここに記しましょう。
17日(木)
午前中は何ともなくて、昼過ぎから熱のときに特有の頭の重たさが自覚されてきました。風邪だと思いました。午後の授業が終わるころには頭痛もしていましたが、鉄棒の練習がしたいのでトレ体に向かいました。そして鉄棒から落下しました。意気消沈して体の具合も一層悪くなりました。早めに帰路についた電車の中で、おなじ理学部数学科の人が2人も新型インフルエンザと診断された旨のメールを読みました。帰って熱を測ると38.8℃でした。状況から見て間違いなくインフルエンザです。明日は大学を休んで病院に行くことにしました。
早目に床に就いて眠っていたら晩くに弟から電話がかかってきて、マナーモードにしていなかったことを後悔しました。
18日(金)
朝になるまでがとても辛かったです。喉の渇きや目の奥が痛むような感覚で何度も目が覚めました。浅い眠りを繰り返していろんな夢を見ました。あるとき、わりあいはっきりと目が覚めました。やれやれようやく夜明けが近づいてきたかこれで病院に行けるぞと思って時計を見るとまだ午前2時でした。
朝起きてみると熱は38.2℃に下がっていて、歩くたびに頭痛はするけど筋肉痛はないのでインフルエンザではないかも知れないと思いました。10時過ぎてから自転車に乗って近所の病院に行きました。買いっぱなしであまり乗っていない自転車ですがこのとき日の目を見ました。インフルエンザ検査は陰性と出ました。風邪だろうけれど、発症からの経過時間が不十分かも知れないから、風邪薬でもし良くならなかったらまた来てくれと言われました。24時間近く経っていて足りないこともないだろうと、とりあえず検査の結果を信用することにしました。
風邪薬にも援けられて落ち着きを得た午後は時々布団から出て家事をしたり勉強したりしていましたが、その間インフルエンザは僕の体を着実に蝕んでいたのでした。夕方からだんだん体調が悪くなって熱が39℃を超えました。つらくて次第にほとんど起き上がれなくなりました。とうとう39.6℃になりました。近所の病院はこの時間診療をしていませんでした。救急車を呼んだときに助けてもらえるように、渾身の力で玄関の鍵を開けました。水を沢山飲んでから風邪薬として処方された解熱剤を服用しました。本来食後に服用すべきものだったので、急激に効くのがわかりました。39.2℃まで下がりました。少し安心して、救急車を呼ばずに寝ました。とそのとき、弟から電話があって2次関数のことを尋ねてきます。息の下で話している僕に、さすがの弟も何か様子がおかしいと悟ったようです。独りで40℃と対峙するのは、恐ろしい体験でした。
19日(土)
夜は前夜ほどは寝苦しくなかったです。起きてみたら幾分か楽になっていました。体温も二三回測ったところ38℃周辺でした。昨晩の症状に加えて、数学科生がまた一人インフルエンザと診断された昨日入った報せもあったので、昼過ぎに病院に行きました。今日の先生は昨日の先生よりも検査の棒を鼻の奥の奥までしっかり突っ込んでいる気がしました。個人的にはこれが決定的だったと思っています。結果は案の定A型インフルエンザでした。タミフルが出ました。タミフルはちょっと値が張りました。薬局のおばちゃんがすごく心配そうにしてくれました。タミフルは効きました。その日のうちに36℃台まで戻りました。昨日のあれが嘘みたいに思えてきました。どうせならきのう陽性と出てくれればよかったのに。一日の間ずっと僕はタミフル以前の時代で苦しんでいたのです。鉄器時代に石オノで戦争するようなものです。

20日(日)
明るくなってから起きました。普段の休日と変わらない目覚めです。頭を揺さぶってもちっとも痛くありません。朝食後のタミフルをさっそくさぼりました。昼食後ひさしぶりに風呂に入りました。一日中小説を読んだり勉強したりしていました。ジェネラルトポロジーを圏論的に考えることに慣れました。午後になって37.5℃くらいに微熱が出ていることに気付きました。残りの日数はタミフルをまじめに飲むことにしました。
21日(月)おわりに
高熱の出ていた間は苦しくて心細くて怖かったけれど、治ってしまった今は早目に来た冬休みを楽しんでいます。活動的な力がいい具合に削がれていて、腰を据えての読書や勉強が捗ります。外出の必要も一切なくて暢気なものです。暇にまかせて部員日記も書いてみました。
結廬在人境
而無車馬喧
(陶潜「飲酒」より)